白石温麺

白石温麺(しろいしうーめん)の歴史

白石温麺の誕生

いまから約400年前、白石の城下町にいた大畑屋の鈴木浅右衛門(のちに味右衛門(みえもん)を襲名)という青年により白石温麺は誕生しました。

当時、浅右衛門は胃腸が弱く病弱な父親・久左衛門のため「消化が良く父が元気になる食べ物はないか」と、毎日方々を探し回っていました。
ある日、旅の僧から、油を使わず消化に良い麺の製法を授かります。浅右衛門は、早速麺作りを開始し、苦心の末この麺を作り上げました。
膳に盛った麺を勧めると、食べやすくまことに美味しい麺に父親の食欲は増し、病状も回復していったそうです。

人を思いやる「温かい心」から温麺と名付けられた

大畑屋の鈴木浅右衛門が作った麺は、評判を呼び、白石の武将片倉小十郎にも献上されました。
味もさることながら、誕生秘話に感銘を受けた小十郎は、「人を思いやる温かい心を持つ麺」という意味を込め、この麺を「温麺」と名付けました。
また、この功績により、浅右衛門は「味右衛門」と名乗ることを許されたと言われています。

ホンマでっか!?「うーめん」

温麺は、温かい麺と書いて「うーめん」と呼びますが、実は、「おんめん」だっととも言われています。浅右衛門が献上した麺を、小十郎は「これはウマイ、ウマイ」と言いながらたいらげ、「温麺」という名を付け、味右衛門と名乗ることを許しました。
意気揚々と帰宅した浅右衛門でしたが、あまりの嬉しさに「温麺」の呼び名を忘れてしまったそうな。そんな時、小十郎の言った「ウマイ」という言葉を思い出します。
「ウマイ麺・・・、うー、ウマイ麺・・・、うーめん!」
「ウマイ」から頭をひねった浅右衛門により、「うーめん」と呼ばれるようになったと伝えられています。
※由来は諸説あります。


大畑屋 手綯うーめん

「大畑屋」の屋号を受継ぐ白石の「大畑屋 手綯うーめん」

大畑屋の鈴木味右衛門により生まれた温麺は、片倉小十郎へ代々献上されました。
そして、蔵王の澄んだ水源と寒風に支えられ、宮城の伝統食として400年以上も受け継がれています。

油を使わない伝統の手延べ製法で作った「大畑屋 手綯うーめん」だからこそ味わえる独特の食感。
コシがあり絹のようになめらかな麺は、茹で延びしにくく、小麦の豊かな風味が口に広がります。

「大畑屋」の屋号を受継ぐ「大畑屋 手綯うーめん」をぜひご賞味ください。

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